10月28日に、鹿児島県霧島市立国分中央高等学校を訪問し、女生徒46名にジョン万次郎のお話をしてまいりました。
一人一人がそれぞれのコンピューターを使用して授業を受けるという恵まれた環境で教育を受けていました。
当日も、万次郎のイラストを各自で見ながらお話を聞いていました。」

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感想文
「今回、吉田礼三さんのお話を聞いて、ジョン万次郎のことを深く知ることができたような気がします。
まず、本校の校訓について触れて下さいました。「至誠(Sincerity)、自律(Self control)、敬愛(Respect)」というのは、世界で通用するということがわかりました。アメリカ人が最も尊敬する日本人として、ジョン万次郎が挙げられていることを知らなかった私は、日本人として恥ずかしい気持ちになりました。
海の上での生活もつらかったと思いますが、それを乗り越えるための精神的。肉体的な強さを感じました。
それを乗り越え、フェアヘーブンにて英語を習い、トップで卒業したというのは、やはり生まれ持った才能だと思います。ですが、日本に帰りたいという一心で、ロサンゼルスで金を掘り、お金をためる気持ちの強さは、尊敬に値します。
日本に帰りついた後も、日本のために自分の経験したことを伝え、貢献した姿は今でも語り継がれています。島津斉彬や坂本龍馬と
もつながりがあったと聞いて驚きました。常識として教えていただいた『士農工商』という言葉は忘れないと思います。
吉田礼三さんからのアドバイスの中に、英語が出来るように、というのがありました。これからも英語を頑張りたいと思います。(R・Yさん)

「私は、ジョン万次郎に学ぶ会で講和を聞いて、まず、万次郎さんはとても優しくて心の広い方だなとおもいました。そして協調性があり、家族・仲間を大切にする方だと重いました。すずきを釣るために漁に出て、嵐に遭遇してしまったとき、飢えをしのぎ生きるためにアホウドリのえさをたべたところや、遠くの船の影に懸命に助けを求めるところで、生きる希望を捨てずに頑張る姿がすごいと思いました。いつも何気なく生活して気づかない当たり前にあるものも、とても貴重なものだと気づかされました。今ある生活を大切にしようと思いました。メンタル面も生きるためにとても大切なことだと思いましたが、ホイットフィールド船長に助けてもらったときの万次郎さんの「利口さ」、アレン姉 妹に教えてもらった「英語」やホームレスの人たち等どの人にたいしても捧げる「やさしさ」は生きていくにあたってとても大切なことなんだなと、講和を聞いて思いました。
普段から、親に、英語は大事だときかされてきましたが、今回の講和でさらにその大切さが見にしみ、少しづつでも英語に興味をもって勉強していこうと思いました。今回、講和を聞くことが出来てよかったです。貴重なお時間をありがとうございました。」(R・Iさん)

「私は、ジョン万次郎という人の名前は前聞いたことが少しありましたが、どんな人なのか、何をした人なのかは知りませんでした。
10代という若さで漁に出て大嵐にあり無人島に流され捕鯨船に助けてもらってそこで海外の人と関わって英語を覚えていくということに驚きました。日本に帰国してから英語を日本に伝えたり、と海外と交流のなかった日本を開く人ともなっていてこの人がもしいなかったら日本は今どうなっていたのかなと思いました。私は小学校6年生から中学校2年生まで海外で生活していていろいろな文化の違いに驚いたりしたので、万次郎も驚いたりすることも多かったのだろうなと思いました。
私たちは課題研究という授業の中や授業以外で、おもてなしという活動を行っています。
その際に、海外の方を見かけることが時々あります。
ですが、実際に会話などをしたことが私はないので、これから英語を使って話しかけてみようとおもいました。
吉田さんが教えてくださった本校の校訓も会話の中で使っていこうと思います。
これから高校卒業し、英語科のある短大に進学するので、そこで英語力を上げて海外で活躍できるような人になりたいと思います。
今日は私たちのためにお時間を割いてくださり、ありがとうございました。」(A・Uさん)
先日、夏目漱石、東郷青児、小泉八雲、羽仁もと子などの有名人のお墓のある雑司が谷霊園に行って参りました。
中濱家のお墓の横に、中濱万次郎の大きなお墓がありました。
万次郎は71才でなくなるまで、貧しい人々とも仲良くし、その人々から慕われていたとのことです。

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