5月20日、深谷市立上柴西小学校を訪問し、ジョン万次郎のお話をしてきました。

高崎線の深谷駅に降り立つと、東京駅そっくりの駅舎が出迎えてくれました。
お迎えに来てくださっていた森田教頭先生や、学校で待っていてくださった荒木校長先生のお話によると、この駅舎は、昔、明治政府の方針にしたがって、実業家、渋沢英一が、日本レンガ製造株式会社を設立してレンガを製造し、東京まで、わざわざ専用線路を敷いて貨車で運んで、そのおかげで立派なレンガ造りの東京駅が作られたという史実に基づいて、東京駅を模して作られたものだそうです。

深谷の特産品といえば、「ねぎ」と昔、学校で教わり、試験によく出たことを思い出しますが、車窓から見えるのは新しく建てられたようなきれいな家ばかりで、どこにねぎ畑があるのでしょうかと思わず尋ねてしまいましたら、それはもっと北部の方です、とのことでした。
このあたりは東京までお勤めの人が多く住んでいて、従って子供の数も多く、上柴西小学校は670名ほどの生徒さんが在籍していて、外国人生徒も30人ほどいますとのことでした。
当日は、6年生133人がお話を聞いてくれました。

校舎の前には大きな網が地面から上のほうに向かってかけられていました。
夏の暑さを防ぐためにゴーヤを育ててグリーンカーテンを作る準備なのだそうです。
あと少したつと、緑豊かな弦がどんどん伸びてきて、大きなはっぱで涼しい日陰を作ってくれることでしょう。

ごうや用のネット

体育館では、首からつるした画板のような硬い台と、記入できるスペースのあるプリントと鉛筆を持って、いすに座って待ち構えている6年生たちがいました。お話のポイントを聞き逃さずにここに書きとめようというわけです。プリントの最後のスペースには、感想を書く欄までちゃんとついていました。ボーっとただ聞いているのと、このように要領よく書き込めるようになっているメモをもって聞くのでは、ずいぶん違うのですから、これはなかなかすばらしいアイデアだと思いました。先生方の指導の情熱が伝わってきました。また、イスに座って聞くなんて、恵まれているなーと思いました。
体育館ではたいていは硬い床にお座りして聞くという形が普通ですから。

メモを片手に準備OK

お話が終わると、質問が沢山でました。
「ジョン万次郎は、後に、東大の英語の先生になったといわれましたが、どうして英語の先生になったのですか?」と女子生徒。
「ずっと鎖国で過ごしてきた日本では、オランダ語以外に外国語を話せる人がいなかったんです。
万次郎は、外国とのおつきあいを始めるからには、まずは英語を勉強してもらいたいと思ったんだね。」
次は、「ジョン万次郎は福澤諭吉に英語を教えたといわれましたが、他には歴史上の有名などんな人物とおつきあいがありましたか?」なるほど、子供たちの関心はそういうことだろうな、と思いました。

深谷市立上柴西小学校 009
「みんなの知ってる坂本龍馬、勝海舟、伊藤博文、、、などなど、お付き合いの有った人は沢山いましたよ。」
次は男の子。「ジョン万次郎って、土佐弁じゃないですか。通訳もなくてどうやって話してたんですか?」
面白い質問でしたが、たしかに、貧乏で学校にも行けなかった万次郎が急に英語だけの学校に入って二年で卒業したなんて、不思議に思えたでしょうね。
「捕鯨船の上では、万次郎は、毎日毎日、乗組員と一緒に働き、一緒にごはんを食べる生活だったから、自然と耳で英語を覚えていったんだね。なんどもwhale,whale,って聞いてるうちに自然にそれが鯨のことをいってるんだとわかっていったんだ。」
そう、英語に限らず、外国語を覚えるのには、この12,13,14才くらいが一番適しているのだと思いますよ。みんな頑張ってください。最後は握手をしてお別れしました。

生徒たちと握手してお別れ