佐世保市立愛宕中学校を訪問したのは5月30日でした。
この日は長崎県下全体で、すべて生けるものの命を尊ぶ「いのちの日」と定められている日だったそうです。ジョン万次郎は太平洋で遭難し、何日も漂流して、もうあのままでは助からなかったかもしれないところを、偶然通りかかった捕鯨船によって救われ、一命をとりとめたのですから、その万次郎の奇跡のようなお話をさせていただくのに、ふさわしい日だったわけです。
朝、長崎空港に到着するのがずいぶん遅れたのですが、降り立つと、ちゃんと飛行機の遅延にあわせて佐世保駅行きのバスが待っていてくれました。どちらを向いても低い山があり、見え隠れに海がみえる広い道をひたすら走り、ハウステンボスを通り、海のそばの小さな町を過ぎ、1時間半ほどのバス旅行となりました。
佐世保市は人口25万人ほどの町だそうですが、陸上自衛隊駐屯地や海上自衛隊の基地も抱えていますし、佐世保重工業、いわゆるSSKで働く人たちが沢山おられます。
駅前の海岸はずいぶん深いらしく、見上げるほど大きなアメリカの軍艦が修理を受けるために停泊していました。その姿を横目に見ながらくねくねした坂道を車で登っていくと、佐世保重工業を眼下に見下ろす高台に愛宕中学校がありました。新築間もないまぶしいほどきれいな体育館で、中学生全員220名ほどが待っていてくれました。
校長室で目に入った、この学校の校訓であるという「自主」「敬愛」「奉仕」という3つの言葉は、実に示唆にとんだものだと感心し、生徒たちに、これらの言葉を英語でなんというかもちろん知っているでしょうね、と尋ねてみましたら、シーンとしてしまいました。いそいでホワイトボードにそれらの単語を書いて、ノートに書き留めさせました。是非、知っておいてもらいたいと思ったからです。
ジョン万次郎は、幼くして父親を亡くし、病気の兄と母を養うために漁師のとってきた魚を網からはずす仕事を手伝って、なんとか生きていました。貧しくて学校にも通えませんでしたが、自主独立の精神で精一杯がんばって生き、家族を愛し、漁師仲間を愛していました。漁に連れていってもらって、そのまま大人になるまで帰れなかったけれど、鎖国中の日本に奇跡的に帰れたあとは、日本国のために尽くし、お世話になった船長たちに会うため何度も海を渡って訪問し、恩義を忘れなかった人でした。
愛宕中学から裏山にのぼる途中から見える、美しいと評判の九十九島は、中国からの黄砂のせいで曇っていてほとんど見えませんでした。困ったものです。